開館30周年記念 令和4年度(2022年度)春季特別展
出口座と阪本一房(いっぽう) -現代人形劇の継承と発展-
― 目 次 ―
バーチャル特別展示室
第1章 世界のあやつり人形
第2章 英国ダーク人形座-現代人形劇誕生前夜-
第3章 現代人形劇の誕生-人形座-
第4章 大阪における現代人形劇
第5章 阪本一房と大阪人形座
第6章 出口座
第7章 阪本一房の業績
第8章 児童文化の発展と普及へ
バーチャル・イベント
オンライン講演会
第1章 世界のあやつり人形
(1)ヨーロッパの糸あやつり人形
(2)アジアの糸あやつり人形
(3)日本の糸あやつり人形
多様な種類がある日本の伝統人形芝居の中では糸あやつりは少数派で、江戸時代には「南京操り」とも呼ばれていた。「南京」とは中国伝来というだけでなく玩具的な小さな可愛さも意味しているといわれている。江戸後期の糸あやつり人形座は、江戸では山本三之助(輔)一座などが、大坂では幽蘭座などがあった。山陽・山陰などでは民俗芸能としての糸あやつりが現在も複数の県にまたがり伝承され、なかでも島根県益田の糸あやつりなどは江戸期のかたちを残しているといわれている。しかし、関東以北へは糸あやつりは伝承されず、わずかに東京に残るのみである。
男 幽蘭座 江戸後期 人形劇の図書館蔵
眉や目、口にからくりがみられ、構造的にも細工の上でも人形製作の成熟した作者によるものと思われる。
幽蘭座は江戸時代後期から大阪にあったあやつり人形座だが、活動の実態はほとんど知られていない。その活動は越中辺りから中国地方まで広範囲に影響をもたらせているが、その後衰退し、大正3年頃まで公演活動が行われていたことがわかっている。
お女中 竹田喜之助作 1970年代 人形劇の図書館蔵
竹田喜之助(岡本隆郎)は大正12年(1923)岡山県生まれ、東大で航空工学を学び、昭和25年(1950)3月結城孫太郎の一座に入り、昭和30年(1955)4月、一座は竹田人形座となって、竹田喜之助を名乗る。竹田人形座の人形を一手に担い、人形のからくり構造に画期的な工夫を凝らした魅力的な人形を創作した。喜之助人形と呼ばれた人形は多くのファンを生んだが、昭和54年(1979)56歳の時、車に巻き込まれる不慮の交通事故で急逝した。
上方子ども絵本『絵本菊重ね』 北尾雪坑斎 江戸中期 人形劇の図書館蔵
絵師北尾雪坑斎の描いた、宝暦頃(1751-1763)の上方絵本で、さまざまな人形と遊ぶ人形尽くしを描き、江戸時代唯一の人形図譜とされる。大正時代には、稀覯書として復刻版が出ているが、原本の現存は数冊といわれる稀覯本である。
怪談早替り浄瑠璃 糸あやつり人形 山本三之輔 浮世絵 国政画 明治初期 人形劇の図書館蔵
江戸時代後期に糸あやつりを演じていた江戸の山本三之輔一座の興行ビラだが、山本三之輔は明治20年代まで東京で糸あやつり人形師として高名を博していたが、後進の9代結城孫三郎に押されてか衰退した。
第2章 英国ダーク人形座-現代人形劇誕生前夜-
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西洋あやつり人形 浅草公園・花やしき チラシ 4色合羽刷 明治後期 人形劇の図書館蔵 |
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人形劇団ダーク座の呼び物だった骸骨がバラバラになって踊る「骸骨踊り」や竹馬に乗りながら酒を飲んでよろめく「スティルトダンス」、「化物旅館」、老婆のスカートの中から子どもがたくさん出てくる「ジゴーシュおばさん」、「フラワーダンス」、「棒の足芸」などの絵が描かれている。 | |
第3章 現代人形劇の誕生-人形座-
人形座
第1回演出
臨時公演
第三回公演
第4章 大阪における現代人形劇
トンボ座
大阪人形座
第5章 阪本一房と大阪人形座
「三つの願い」マリオネット人形
「三つの願い」は人形座、大阪人形座でも劇団として最初に上演した重要な演目である。のち出口座でも上演され、3つの劇団の継続性を象徴する作品である。昭和52年(1977)の出口座初演では「マルチン」役に人形座からの小代義雄、「マルガレット」役に関西芸術座の新屋英子氏、仙女に大阪人形座座員の木村満子氏を迎え、公演用テープが録音された。
人形はいずれも昭和24年(1949)柏尾喜八郎が製作したものである。
第6章 出口座
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出口座と六雅荘 昭和53年(1978)木村章人氏撮影 出口座は出口町の丘の上の細い路地の奥にあった。アサヒビールの独身寮(管理人であった童話作家森たかみちが、のち「六雅荘」と命名)と未使用の食堂を改装したマリオネット専門の芝居小屋である。看板文字は「勘亭流で」と阪本が決めた。 |
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人形を操作する阪本一房 |
民話人形芝居 阪本一房は、昭和53年(1978)から昭和61年(1986)にかけて吹田を中心とする地元の民話を題材にした糸あやつり人形芝居を創作した。「雪むし」(初演時は「雪だるま」)、「俵薬師」、「羅城門の鬼」、「かまいたち」、「血の池」、「浜の真砂」、「二魂坊」の7作は、出口座を特徴付けるオリジナル演目となった。 |
①雪虫(初演時は雪だるま)昭和53年(1978)初演
吹田郷土民話「つなぬき祭り」を題材に、阪本が長年温めてきた作品である。
あらすじ
雪国でない関西地方 北摂の地にも昔はよく雪がふり、子どもたちは雪だるまを作ったりして遊びました。小さな山あいのへんぴな中ン谷村(今は千里ニュータウン)での話なのです。幕府の役人は百姓たちから年貢をとるために田圃の広さや米の出来高を検(しら)べにきたのです。百姓の藤蔵は不正の計り方をする役人に抵抗してその検地をする間竿(けんざお)を真二つに折ってしまいました。怒った役人はその場で藤蔵一家を打首にしました。その血が雪だるまにとびちりました。翌日、藤蔵の子松吉の血を消しながら子どもたちは雪だるまを作ります。雪だるまの顔は泣いているようです。(機関紙『出口座』31号より)
②俵薬師 昭和54年(1979)初演
うそつきが長者やあんまを騙して富を得る昔話「俵薬師」をモチーフとする。国際人形劇連盟(ウニマ)創立50周年記念として開催されたアジア・太平洋国際人形劇祭典において「俵薬師」で国際審査委員団賞を受賞した。
あらすじ
茂平は希代のうそつきである。皆、うそつき茂平にだまされまいと気イつけながら、ついころっとだまされてしまう。
今日も今日とて茂平の奴、旦那の使いに行ったのはよいが、途中でぐっすり寝てしもて、こらえらいこっちゃと思案なげ首。持ち前のうそをついてるうちに、とうとう旦那は茂平の道案内で竜宮城へといくことになる。欲のためならおのれの身がどないなろうと頓着なし。たとえ火の中水の中、旦那も性根むき出しなら小心者の茂平とて、己の身可愛さに口から出まかせのうそついてほんで結構、世渡りしとりますわな。(機関紙『出口座』43号より)
③羅城門の鬼 昭和55年(1980)初演
茨木市にまつわる「茨木童子」と謡曲『羅生門』での渡辺の綱の鬼退治の説話を素材としている。前年作られた一人芝居「茨木 里の鬼」をベースに妖気漂う本格的な人形芝居とした。
あらすじ
茨木の百姓、弥作に男の子が生まれた。気の優しい力持ちの童子になりましたが、おでこに角が出てきました。村の人達は「鬼の子」と気味悪がり弥作は仕方なく童子を山へ捨ててしまう。童子はお腹を空かせて都の羅城門へたどり着きました。羅城門には女の骸(むくろ)から髪の毛を抜いて売り、生きている老婆が住んでいました。お婆は童子に食べ物を分けてやり、一緒に暮らし始めました。しかし、羅城門に「鬼」がすんでいると聞きつけた公家は退治するよう渡辺の綱に命じ、お婆は腕を斬られてしまいます。童子は怒り、腕を取り戻しに行ったのです。
④血の池 昭和57年(1982)初演
吹田村に伝わる血の池、泪の池にまつわる大日坊能忍と悪七兵衛景清の悲劇を作品とした。
あらすじ
昔、吹田村の川面に小さな池があり、その側には大日坊の祠があった。夜、戸を叩く音に戸をあけると源平の戦いに敗れて逃げ落ちてきた甥の平景清が立っていた。疲労と空腹の景清に大日坊は祠で寝かし、家の門に「寝てる間にそおっと温麦を打つのや」といった。景清は「甥の首を打つ」と勘違いし、大日坊の首を刎ねてしまう。血の付いた刀を池で洗うと池の水は真っ赤に染まった。景清はあやまりに気づき、池に来ては涙を流して大日坊にわびていた。血の池は泪の池ともいうようになった。
第7章 阪本一房の業績
第8章 児童文化の発展と普及へ
バーチャル・イベント
オンライン講演会
現代人形劇の継承と発展 大正時代末期に西洋から日本に伝わったマリオネットによる現代人形劇の誕生の経緯とその精神を引き継いだ |
吹田の人形芝居・出口座が残した小さくて大きな文化財 1975年吹田市出口町で旗揚げされた阪本一房主宰の人形芝居「出口座」について |
詳説 出口座と阪本一房展【吹田市立博物館 歴史講座 藤井裕之】 令和4年度(2022年度)春季特別展「出口座と阪本一房-現代人形劇の継承と発展-」に関して、展示構成と展示資料を解説します。 |
博物館講演会「昭和初めの洋風人形劇を語る-孟府と一房 」浅野詠子(ジャーナリスト) 1975年吹田市出口町で旗揚げされた「人形芝居出口座」。その主宰であった阪本一房に最も影響を与えたひとりが |
博物館令和4年度春季特別展関連イベント紙芝居上演 令和4年度(2022年度)春季特別展「出口座と阪本一房-現代人形劇の継承と発展-」の |