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令和5年度(2023年度)秋季特別展
大坂好みを描く 呉春から孔寅・芳園へ


看板画像

 令和5年度(2023年度)の秋季特別展は「大坂好みを描く 呉春から孔寅・芳園へ」をタイトルとしています。 与謝蕪村や円山応挙に学んだ呉春とその門下を指す「四条派」は、彼らが京都四条通り周辺に居を構えていたため、その名が付きました。江戸後期になると、呉春に学んだ四条派画人・長山孔寅が大坂で活躍し、弟子の上田耕冲らが画風を受け継ぎました。一方、西山芳園・完瑛父子とその弟子たちは四条派をルーツにしながらも、近世大坂の賑わいや風景をモチーフとし、瀟洒(しょうしゃ)な画風に独自性があることから、最近は「西山派」やそれぞれが住まう地名にちなんで「船場派」という名称も提起されています。
 大坂を拠点とした四条派画人の作品は、多くの商家や料亭の床の間飾りとして愛されました。吹田の旧家にも作品が伝わっています。本展では、江戸後期から明治に至る大坂の四条派の流れを、起点となる呉春らの作品とともに紹介いたします。彼らが描く当時の「大坂好み」をお楽しみいただくことができれば幸いです。最後に、今回の展覧会開催にあたり、多大なご協力いただきました関係者各位、ならびに各機関に厚く御礼申し上げます。
〈凡例〉
・このページは令和5年(2023年)10月14日から同年11月26日まで開催する、令和5年度(2023年度)秋季特別展「大坂好みを描く 呉春から孔寅・芳園へ」のバーチャル特別展示である。
・当バーチャル展示室には展示資料のすべてを掲載しているわけではない。
 
  • 目次



第一章 ルーツをさぐる

 

四条派と呼ばれる画風は呉春からはじまりました。呉春は与謝蕪村に文人画を、円山応挙に写生画を学び、文人画の情緒的な表現と写生画のリアルさを融合させ、その画風を多くの弟子たちが受け継ぎました。

 この章では呉春と松村景文の作品を紹介します。呉春は長山孔寅、松村景文は上田公長と西山芳園という大坂で活躍した弟子を育てました。西山芳園は中村芳中にも学んだため、芳中の作品も参考として紹介します。

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呉春『岩上孔雀図』公益財団法人阪急美術財団 逸翁美術館蔵


第二章 四条派画人、大坂へ

 

京で呉春に学び、大坂に移り住んだ画人もいました。秋田生まれの長山孔寅は、20才前後で京の呉春に学び、その後文化年代の初めごろ(1801〜1806)、大坂へ移りました。この章では孔寅とその弟子の上田公長、上田耕冲と子の耕甫、耕冲門下の庭山耕園を紹介します。さらに、やはり呉春に学び、息子らとともに大坂を拠点にした佐藤魚大も紹介します。

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長山孔寅『牡丹図』吹田市蔵(中西家旧蔵)


第三章 大坂に根づいて

 

大坂を拠点にして四条派を学んだ画人もいました。西山芳園は大坂から京の松村景文に通い、画風を習得しました。大坂の生業や賑わい、風物詩をあっさりと描いた芳園は、子・完瑛らとともに「西山派」と呼ばれています。さらに近年、西山派をはじめ大坂商家が好んだ画人たちを、町人文化の中心地にちなみ「船場派」と呼ぶ提起があります。第二章で取り上げた上田耕冲・耕甫、庭山耕園も船場派に含まれます。彼らの作品は写生を基本としつつ描き込みを控え、さりげなく日常を飾る絵画です。注文に応えて描くことが多いという点も特徴です。この章では船場派の掛軸や画帖を紹介します。

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西山芳園『親子竹筍図』関西大学図書館蔵

※画像は 関西大学デジタルアーカイブ より転載。

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