令和5年度(2023年度)秋季特別展
大坂好みを描く 呉春から孔寅・芳園へ
第一章 ルーツをさぐる
四条派と呼ばれる画風は呉春からはじまりました。呉春は与謝蕪村に文人画を、円山応挙に写生画を学び、文人画の情緒的な表現と写生画のリアルさを融合させ、その画風を多くの弟子たちが受け継ぎました。
この章では呉春と松村景文の作品を紹介します。呉春は長山孔寅、松村景文は上田公長と西山芳園という大坂で活躍した弟子を育てました。西山芳園は中村芳中にも学んだため、芳中の作品も参考として紹介します。
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第二章 四条派画人、大坂へ
京で呉春に学び、大坂に移り住んだ画人もいました。秋田生まれの長山孔寅は、20才前後で京の呉春に学び、その後文化年代の初めごろ(1801〜1806)、大坂へ移りました。この章では孔寅とその弟子の上田公長、上田耕冲と子の耕甫、耕冲門下の庭山耕園を紹介します。さらに、やはり呉春に学び、息子らとともに大坂を拠点にした佐藤魚大も紹介します。
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第三章 大坂に根づいて
大坂を拠点にして四条派を学んだ画人もいました。西山芳園は大坂から京の松村景文に通い、画風を習得しました。大坂の生業や賑わい、風物詩をあっさりと描いた芳園は、子・完瑛らとともに「西山派」と呼ばれています。さらに近年、西山派をはじめ大坂商家が好んだ画人たちを、町人文化の中心地にちなみ「船場派」と呼ぶ提起があります。第二章で取り上げた上田耕冲・耕甫、庭山耕園も船場派に含まれます。彼らの作品は写生を基本としつつ描き込みを控え、さりげなく日常を飾る絵画です。注文に応えて描くことが多いという点も特徴です。この章では船場派の掛軸や画帖を紹介します。
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西山芳園『親子竹筍図』関西大学図書館蔵 |
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